以下の文章は組合の機関紙に無理矢理書かされたのを転載したものです。隣の席が執行委員なものだから断れなくて。ちゃんとした日記を書くまでのつなぎということで。

飛行機を降りるとむっとする空気が体を包む。ベトナムはいつでも30℃を越す熱帯だ。空港を出て看板のベトナム語を見ると『ああ、また来たんだなあ』と実感する。ホーチミン市(旧サイゴン)はバイクの洪水だ。道幅いっぱいにバイクが列をなし、タクシーはクラクションを鳴らしながらバイクを蹴散らして道を進む。
ベトナムの夜は人で賑わう。何をするわけでもなくバイクでぶらぶらする人々。子供を含めて3人乗り4人乗りも珍しくない。ベトナムはまだ貧しい。家にはクーラーなどない。一家総出で涼みに出ているのだ。しかし、貧しくともたくさんの笑いがある。幸福な家族風景がそこにはあった。
ベトナムの市場へと行く。市場の主人公は元気なおばちゃん達だ。外国人と分かっていても、言葉が分からなくとも臆することなく声をかけてくる。安いよ、いい品物だよ。ここで買ってお行き。市場にはものがあふれている。野菜や肉、魚のような生鮮食料品から、衣類、電気製品に至るまで、豊富で品質も良い。とても社会主義国とは思えないほどに、人々の生活はものに彩られている。
ベトナムの女性は総じて元気だ。昔からきれいなことと気の強いことで有名で、おしゃれにも皆気を使っている。サイゴンの町中を走るバイクの女性にはまるで銀行強盗のようにスカーフで顔を隠し、長い手袋をしている人をよく見かける。強い日差しに肌を焼かないように気を使っているのだ。サイゴンではアオザイ姿の女性の姿もよく見かける。アオザイというのはベトナムの民族衣装だが、長衣の裾を風になびかせている女性のアオザイ姿はとても優雅で見ているだけで楽しい。裾をつまみ上げて、自転車をこいでいる女学生の姿は思わず写真に撮りたくなってしまう。
ベトナムでは歩いている人はあまり見かけない。あまりに暑いので、歩いていると日射病や熱射病になりかねない。みな、シクロという人力車かバイクタクシーで移動している。歩いているのは外国人が多く、シクロの客引きの餌食となる。サイゴンのシクロは最近悪質になってきたというので乗らないのだが、シクロから見る街の風景は視線の位置が低くて好きだったので残念だ。
サイゴンからバスで二時間ちょっとでメコンデルタの入り口ミトーにつく。メコンデルタでは、雄大なメコン本流以外に文字通り網の目のように張り巡らされた支流巡りが楽しい。川が交差点のように十字に交差し、人々の移動はすべて船で行われる。だから川に面した方が入り口となっている。物売りも舟に乗ってやってくる。生活のすべてが川と切り離せなくなっているのだ。
ベトナムはどこでも活気にあふれている。視線を向けると笑顔が返ってくる。こちらも自然に笑顔になる。日常生活から解放された気分になるベトナム。一度行かれてはいかが?

 

以下の文章はニフティサーブのベトナム会議室に書き込んだものです。ちゃんとした旅行記を書くまでのつなぎとしてご勘弁ください。

ハノイの夜の訪問者

ちょっと前になりますが、GWにベトナムに行ったときの思い出を少し書きます。
まず、全体のルートですが、ベトナムまではキャセイの香港乗り継ぎで成田からその日のうちにベトナム入りしました。入国はハノイ、ノイバイ空港です。ノイバイ空港では両替所でドルしか受け付けないと言われ、ドルの手持ちの少ない僕はいきなりパニクッてしまいました。市内までは、ミニバスを見つけられなかったため、白タク(ボルガというロシア製の乗用車)を使いました。ここですでに、ベトナム人のしたたかさにやられてしまいました。空港には白タク商売をしている人間が集まっているのですが、その一人につかまり20USDとふっかけられました。15USDに値びいてもらったのですが、ベトナム人はたいてい2〜3倍ふっかけるようなので10USD以下から交渉をはじめるべきなのだと後で気づきました(過去のログをちゃんと読んでおくんだった)。宿泊先はフーザー(富家)という政府系のゲストハウス(市中心部のホー・アン・キエム湖の側です)。
ハノイの印象は雑誌なんかに載っている静謐のハノイという記事に反してうるさいというものでした。確かに、サイゴンに行った後だったらちょっと静かかなと思えたでしょうけど、静謐というのは嘘です。このフーザーに限らず、少し古いホテル、ゲストハウスは鍵がいい加減です。いわゆる掛けがねというのですか、簡単な引っかけ式の鍵しかなくて不安を呼びます。実際にこの不安は的中します。最初の夜、疲れたので寝ようかなと思っていると、いきなりがちゃがちゃと戸をあけようとする音が聞こえるのです。誰?と聞いてのぞいてみると二十歳くらいの女の子が二人いて、二人入れてくれと身ぶりで示しています。サイゴンについてはホンダガールの話を聞いているけど、ハノイでもとは思わなかった。2日目も20代後半の女性(ただし、ベトナム人は日本人以上に若く見えるのでもっと上かもしれません)がマッサージとか言って戸をちゃがちゃするので困りました。
ベトナムで宿を取るときは鍵のしっかりしているところをとったほうが初めての人には無難だと思います。そういうところがなければ、ドアが内側に開く部屋を選んで椅子をノブにつっかいしておくこと。そうすれば、少なくとも簡単には部屋に侵入できないでしょう。

ベトナム人の人の良さ?

いろいろな方が書き込みをされていますが、今回はベトナム人の人となりについて。
ベトナム人は人がいいとの書きこみが多いのですが、僕はこれについては??というところもありまして。というのは観光客としていった場合、接するのはシクロの運転手や売り子、物乞いなどがまず考えられますが、この方たちはいかに多くのお金を外国人から巻き上げるか日夜考えている(?)ので、結局お金がすべてで、親切にしてもらっていたつもりががっくりということもあります。彼らだって生活がかかっていますから、これは仕方ない。
僕がベトナム人について純粋に親切だなあと思ったのはフエ郊外の皇帝廟めぐりを自転車を借りてやっていたとき(**の歩き方には自転車では無理と書いていますが、普通に元気な人なら大丈夫です)。丘の上のカトリック教会の前にたどりついて、露天商の女の子から水を買って(そういえば、ベトナム滞在中ここでだけドルを拒否された)くつろいでいると、側にいた若い男性が話しかけて、その後教会の中にまでつれていってくれたことですね。一般市民との接触がもっとできれば、それだけ人の良さに巡り会えるのではという気がします。そういえば、ハノイのビアホイでは隣り合わせたおじさんが見所などいろいろと教えてくれた。サイゴン、ミトーでは、現地ツアーのガイド(彼らは大学でのエリートです)となぜ日本人の女の子は結婚したがらないのかとかいろいろ話をしておもしろかったし。これからベトナムに行かれる方にも良い出会いがあることを祈っています。

メコンデルタへ 〜ミトー〜

みなさん、こんにちは。明後日には出発という時点になってようやく前回の旅行について書いておきます。
前々回の旅行でサイゴンから日帰りの大名ツアー(僕一人にガイド一人運転手一人がつく)でミトーに行ったのだが、そのミトーのメコンデルタクルーズの現地ガイドの女性に写真を送っていなかったので、写真を渡そうという意図もありミトーへと足を向けた。前の時とは大違いでローカルバスを使ってチョロンからミトーへ向かう。ミトーのバスターミナルは市街地から少し離れたところにあり、市街地へはシクロなどで行く必要がある。バスを降りてどうしようかと思っていたところで日本語を話すホンさんに出会ったのであった。ホンさんはこちらがよく知らないのをいいことに街まで3ドルよこせと言う。しかし、僕は5000ドンという情報を仕入れていたのでそう言うとそれは古い情報だと言い張り、折り合いがつかない。そのうちこの人はなんでこんなに日本語が上手なんだろうと興味が湧き、1ドルで折り合った。ホンさんはめぼしいホテルをまわり、僕がOKを出さないので元に戻ったり(実際ミトーはホテルが貧弱だった)、随分長いことつきあってくれた上、市場を案内してくれたり、ホンさんの教え子のユキさんという人のところでコーヒーをおごってくれたりした。そこでくつろいでいると今晩自分が教えている日本語のクラスに遊びに来ないかと言われ、二つ返事で行くと答えたのだった。
夕方になり、ホンさんの教え子のユキさんとハルさんがGHに僕を迎えに来た。ユキさんのバイクの後ろに乗り、ホンさんの家に向かうとそこは貧しい感じの一軒家だった。そこにはホンさんを含め8人がいた。彼らは家族が難民として日本に行っているか、自分自身が行ったけど送還されたという人が多かった。約二時間僕自身が題材や練習相手にされながらとても楽しい時間を過ごしたのだった。
帰り道ハルさんが突然僕に向かって言った『私ベトナムの警察って嫌い!!』。聞くと家族が難民として出国したので持っていたお店を取り上げられたそうなのだ。そこにはまだ僕の知らないベトナムが広がっているような気がした。

 注)出てくる登場人物は仮名です(念のため)

ベトナムの陶磁器:購入から没収まで

みなさん、こんばんは。今回はなるべく手を出さない方がいいといわれている陶磁器の購入をしました。普通ならしないんですが、ときどき無謀な買い物をして、例えば狭い部屋に4枚のトルコ絨毯があったりします。

購入場所:ハノイのハンガイ通り近辺(民芸品を売っているので有名)
     THUY NGA:92 Hang Gai(やり手のお姉さんがいます)
     THANH VAN SHOP:31 Hang Can(きれいな天目茶碗もあった)

物と価格:レ朝の(と称する)茶碗(青紫色できれいでした) 35ドル
     李朝の(と称する)茶碗(青磁)         50ドル

購入にあたり、だいたいの価格を知るために2日に渡りハンガイ通りの民芸品屋さんを10軒以上まわりました。で、気に入った物があると店の名刺をもらって価格を書き留めるようにしました。良い物を置いている店は、店頭でなく店の奥や二階にかなり陳列していますので、店先になくてもそれだけかどうか確認した方がいいでしょう。また相手の言い値も2日に渡って変わりません。偽物とかをいい加減に売っている店は言い値が大きく変動する傾向があるようでした。価格については本当のことはわかりませんが、茶碗ではレ朝の陶器で30〜40ドル、李朝の磁器で60〜70ドルというのが言い値では普通のようです。購入についてはクレジットカードも使えます(でないととても買えなかった)。持ち出しについて僕はかなり気にしていたのですが、ここのお姉さんは国外への持ち出しは問題ないと言っていました。

空港の通関:サイゴンのタンソンニャット空港

手荷物のX線検査ではいったんはすぐに通してくれたのですが、空港使用料を払うところでぐずぐずしていると係官がやってきて中を見せろと言いました。陶磁器があるだろうというので正直に出すとこれはアンティークではないかと言っていっぺんに雰囲気が厳しくなります。そのうち二人いる係官のうち一人が『持ち出したいなら彼は50ドル出せといっている、厭なら上官に来てもらう』と言い出しました。残念ながら僕は現金はあまり持ち歩かない方でそのときは35ドルしか持っておらず、そう伝えてまけてもらおうとしましたが拒否されました(本当は50ドル払っても持ち帰りたかった)。で、上官が呼ばれ、みんなでああだこうだ言っていて迷っていたようですが、結局アンティークと判断されたようで別のカウンターに連れて行かれ預かり証にサインさせられました。今、僕の陶磁器はサイゴンの税関に保管され、手元には預かり証とせめてと頼んでとらせてもらった茶碗の写真しかありません。

教訓

通関は陶磁器の持ち出しには敏感でかなり厳しく見ています。機内持ち込み手荷物だけでなく、預ける物についても同様です。特に税関職員の副収入にもなっているようですので、その真剣さの度合いが違います。ということで50ドル程度の袖の下があればうまく行きそうな気もします。このときは茶碗の周りにウォークマンとかを配置して、隠そうと努力はしたのですが、よく見ているようです。
僕の買った物がそれほど美術的価値のある物とは思えなかったのですが、判断は税関職員の胸先三寸です。没収されるリスクがあるということを肝に銘じて買いましょう。
また、こういうトラブルでは時間がとられます。余裕を持って空港に行った方が無難なようです。僕の場合、一時間ちょっととられました。

ハノイにて:トーリック川沿い

昨年ハノイに行ったけれど余りよい印象がなかったところ、最近『ハノイからの招待状』という本を読んで一念発起リターンマッチに行ってきました。
宿はホーアンキエム湖のそばだったのでシクロに乗ろうと思いながら、ついつい歩いて旧市街を抜けまずはタイ湖にたどり着きました。タイ湖のそばからトーリック川添いにトゥイクェ通りという道が走っており、この近辺に古い小さなお寺がたくさんあります。これらのお寺が特に見るべき価値があるものかどうかは人それぞれでしょうが、僕はとてもおもしろく見ることが出来ました。
トゥイクェ通りはあまり外国人が入り込むような通りではなく、ベトナム人の生活がある通りでした。ただ、トーリック川自体は生活排水で赤く染まっていて、結構汚い川です。寺の多くは門に鍵がかかっていたのですが、ある寺には鍵がかかっておらず図々しく入り込んできました。お寺の中では街の古老といった感じの老人が数人お茶を飲んで談笑していたので、そちらの方に軽く会釈して建物の中に入りぼーっと見ていると中の一人がやってきて、説明を始めてくれました。その寺はもともと966年に建てられ、トーリックおじさんを祭っているとのことでした。
その後お茶をごちそうになりながら話しをしていたら、日本占領時代のこともでてきて、知っている日本の単語『ありがとう、こんにちは、上等』などを話すのでした。旧帝国陸軍は上等という言葉が好きなのかメコンデルタの方でも日本人だとわかると『よとない』と言われたことがあります(使った方は意味は分かっていないようだった)。これは多分『上等無い』が訛ったものではないかとにらんでいます。
僕が昔の日本軍は良くなかったというと、いやどこの国にも良い人間、悪い人間はいるからと慰めらてしまいました。ベトナム人は年をとってくるとみんな毒気が抜けてきて、ホー=チ=ミンの様になってくるという気がします。何か自分のじいさんと話しているような懐かしい気がしてしまったひとときでした。

今回の旅行(南部と中部)(17) 96/10/17 21:49

みなさん、こんばんは。10/9〜10/14とベトナムに行って来ました。今回は6日間しかなかったので本当の駆け足です。

10/9-10  サイゴン
10/11   フエ
10/12   ホイアン
10/13-14 サイゴン

南部は雨期の終わり頃で午後になると激しい雨が降ることが多かったです。メコンデルタの方は台風の影響で洪水になり50人近くが亡くなったと新聞に書いてありました。サイゴン在住の日本人は増え続け、とうとう2000人を越えたとのことです。しかし、日本からの投資は急激に減って(現時点で昨年の半分くらい)、随分と日本料理店もつぶれたとのことです。フエもまた雨期ですが、こちらは日本の梅雨のように降り続けていました。あんまり今の時期はお薦めではないようです。これから2月頃までは雨が多く、また結構寒くなるので憂鬱と現地に住んでいる人が言っておりました。これからぼちぼちと思い付いたことを書きたいと思います。


つい数日前、サイゴン、フエ、ホイアンと行って来ました。さて2月下旬ですと北部、中部はかなり寒いと思います。厚手のセーターが必要かと思われます。したがって、ハノイ-フエを汽車で行ってもエアコンのお世話にはならないのではないかと思います。ソフトベットだと結構高いですよ。ハードベットで40ドルくらいだったから。飛行機(プロペラ機)で片道90ドルでも時間と快適さを考えればいいのではないかと思います。ただ、汽車に乗ると普通のベトナム人と交流できて楽しいです。
フエ-ダナン間についてはミニバスをお薦めします。ホテルやゲストハウスで手配してくれ4ドルという安さです。天気が良ければハイヴァン峠やランコー村がとてもきれいです。汽車はトンネルを通るので若干景色が楽しめないと思います。ただ、ダナンに宿泊することを考えているのならゆきんこさんお薦めのホイアンまで行くことを僕も強くお薦めします。フエ-ホイアンのミニバスは5ドルです。比較的静かな街でビーチも近いし、舟遊びもできる。散策をしていても楽しいですよ。ホイアンからダナン空港まではハイヤーで7ドルです。これもホテルで手配してくれます。僕はThanh Binhホテルというところに泊まりましたが、ここのレセプションの女の子は親切にしてくれました、設備は並ですけど。歩き方に乗っている中国風家屋のホテルというのは現地の人に言わせると美人が多いというのでそこもお薦めです(名前は忘れた)。

ダナン-サイゴンは飛行機(エアバス320だった)の方が楽だとは思います。ダナン-ホイアンの日帰りは30kmくらいしかないので十分可能でツアーもたくさん出ていますし、バイクタクシーを借りてもそんなにかかりませんが、やはりホイアン泊りの方がいいですよ。
あと、今回の旅程には入っていないけど、メコンデルタの支流巡りも楽しいと思う。メコンデルタの中心のカントーやその手前のヴィンロンあたりに行くとメコンの支流が縦横に走っており、そこを小舟でうろうろすることができます。だいたいは10時間弱のコースだと思いますが、水上マーケット、果樹園、精米所、造船所等々いろんなところに連れていってくれます。川が直交しているのはなかなか見ていておもしろいですよ。本当に道路のようです。ツアーは泊まるホテルで手配してくれると思います。一日15ドルくらいだったかな?僕はDOAN AN DUONG HOTEL 住所:3 HOA BINH CAN THO (ドアン=アン=ユォンホテル)TEL:01-71-22176というところに泊まったら、そこのマネージャーが親切でいろいろ手配してくれて楽しめました。カントーまではミニバスが出ているようなのでそれが一番でしょうか。


で、現地の日本料理店は高級店化と低価格化と二分化しているんだそうです。でも、低価格化なんて言ってもたかがしれているしなあ、どうするんでしょう。牛太郎はもうつぶれたか、つぶれることが決まっていると現地留学生が言っていました。
日本人も2000人を越えているというのは新たに来る日本人には予想外のようで、何をするか何ができるかということで選別が起こりそうでした。どうにしろ金をもうけて日本に持って帰るという事はどだい無理なので、身を落ちつけて自分が食っていけるならいいくらいで行くしかないかなと言っていました。自分の旅行雑感のコメントツリーに入れようかと思いましたが、こちらのツリーに付けます。

今回の旅行でもあちこちで月給の話しがでてきたので以下に記します。
サイゴン
100ドル:ミニホテルのバーカウンターの女性
     (レセプションではない、英語はそれほどできない)
40ドル:ミニホテルの客室係
100ドル:英語ができる大卒事務
300ドル:日本語ができる大卒事務

フエ
160ドル:日本語教師

ホイアン
30ドル:カフェレストランの従業員(am6-pm11まで働くと言っていた)

ダナン
40ドル:旅行会社のハイヤー運転手(英語が上手)

以下は以前の旅行などで仕入れたものです。
ハノイ
1000ドル(本当かな?):ジャーナリスト

ダナン
45ドル:ダナン空港のレストランのウェーター(英語ができる)

サイゴン
70ドル:郵便局の新人
30〜100ドル:英語のできないシクロの運転手(幅があってあてにならない)
200〜300ドル:英語のできるシクロの運転手(幅があってあてにならない)

前にも書きましたが英語ができるだけではもうあまりお金にならないためかあちこちで日本語の勉強をしたいと言われました。また、大学の日本語講座もあちこちでできているようです。で、来年か再来年くらいには日本語ができてもあまり稼げなくなるのではないかという気がしています。

 

ベトナムは衛生的ではない

そろそろ今回の旅行で気の付いたことを適当に書き込みたいと思います。最初の二日間はファン・グー・ラオのはずれにあるミニホテルに泊まっていたのですが、朝はふらふらと散歩に出ておりました。地図を見ると総合大学や師範大学から遠くないので、それをめざして歩いていたときのこと。植え込みに人が隠れてこちらを向いているので、何かと思って少し離れたところから回り込んでみると、以前ゆきんこさんが書いていたように朝の用足しをしていたのでした。で、そのあたりをよく見てみるとあるわあるわ、湯気をたてている新鮮なのがあちこちに転がっていました。そのあたりに集中しているのはちょうど植え込みがあって、隠れやすいからなんでしょうが、やっぱりうーむと思ってしまいます。家がなくてそこら辺で寝ている人が結構いるとか、公衆便所があまりないというのが原因でしょうか?
家でも台所とトイレの共用が普通みたいですね。僕はまだ一般家庭でトイレを借りたことはないのですが、一緒に遊びに行っていた人がトイレを借りようとするとそこの娘さんが洗濯をしていたので行けなかったことがありました。
朝の散歩を続け、エクゥアトリアルの前を通って師範大学の方に向かう。エクゥアトリアルは結構立派なホテルだがあやしいさんが言うように不便で立地が良くない。師範大学に向かう道ではみんな体操をしていたり、バトミントンをやっていたり朝の時間をそれぞれ楽しんでいる。大学の門の周辺では朝食用にフォーやフーティウの店が出ており、学生らしき若者が手早く朝食を取っていた。門の中に入ってぶらつく。大学の敷地は非常に狭い。入ってすぐのところの掲示板を見ていると講義の予定表が貼っていた。コンピューター関係らしく、WORDやFOXPRO、WINDOWSという字が見える。講義でそれらのソフトを勉強するようだ。講義でソフトそのものを勉強するというのは何となく違和感がある。ベトナムの大学のカリキュラムってどうなっているんだろう?

 

戦争の記憶

散歩の後、ちょっと時間が空いて、かといって外に出るのも疲れそうなのでロビーに行くとおばさんが気を利かせて相手になってくれた。たわいもない話しをして、次はお金の話し、何かパターン化しているような気がする。でも、その後故郷の話しをしていて戦争の話しに及んだ。彼女が12、3の頃、道を歩いていていきなり機銃掃射があった。終わった後、道端には死体がごろごろしている中を歩いて帰ったと聞いたとき、何かその光景が見えるような気がして、言い様のない気持ちにとらわれた。あの世代の人で家族に犠牲になった人がいないのは珍しいのだろう。でも、いまベトナムは戦争の時代も遠くなりつつあるなあというのが実感だった。


ホイアンの遊覧船

(17) 96/10/16 04:06

小舟の遊覧はやってましたよ。聞いたところだと本流の広いところに出るのが禁止されているようで、別のグループは島を回れないので反対側まで歩いていって別の船に乗り継ぐということをやっていました。でも、小舟遊覧をやっている女の子達はそっちまでは連れて行ってくれなかったなあ。あと、彼女たちは船上生活者達と仲が良くないらしく、流れを挟んで大きな声でやり合っていました。見てる分にはおもしろかったけど、やっぱり、ベトナムの女性は怖いわ。
ホイアンの街のシクロとか物売りとかは全然しつこくなかったですよ。こちらが拍子抜けするくらいあっさりしていた。普通だと一時間くらいつきまとわれたりするのにね。

 

なぜ外国人とばれるか?

(17) 96/10/16 04:06
なんでばれるんでしょうね?
僕の場合、

1.歩いているから
2.靴を履いているから
3.靴下をはいているから
4.目が一重だから
というところでしょうか?足下がよく分からない状況でベトナム語を話しかけられたこともあるのでやっぱり1〜3かな。

 

シクロには乗ってはいけない

(17) 96/10/16 04:06

サイゴンのシクロは本当にやばくなってきているようですね。知り合いのシクロの運転手に聞いたら、日本人で300ドル奪われたとか言う人もいるとか。そのシクロの運ちゃんはたまたまその人にHello!と言ったら、いきなりFuck You!!と返されて、聞いたらそういうことだったらしい。特にニューワールドホテル周辺とサイゴン川沿いが危ないようです。あと、サイゴン中心部では来年から完全にシクロ乗り入れが禁止になるようです。今は一応禁止だけど、チケット制みたいなので乗り入れているらしいのですが。

 

96/11/15

昨日の新聞にズオン・バン・ミン将軍が近々フランスからベトナムに帰国するとの記事が載っていました。ベトナム政府は国民和解の象徴としてこれを歓迎したいとの意向のようです。でも、象徴になるのですかねえ?グエン・バン・チューとかグエン・カオ・キとかとちょっと違う気がするのですけど。僕の知っているミン将軍のプロフィールを書くと、1963年の反ゴ・ジン・ジェムクーデターの立役者で、その後中立色を強めたためアメリカから疎まれて再度のクーデターで追放、一時亡命。帰国後は政権内で反グエン・バン・チュー姿勢を持ち、解放戦線からも和解政府の首班として期待される。しかし、再度大統領になったのはサイゴン陥落の2日前で、なすすべもなくサイゴン政権最後の大統領となった。1981年、息子のいるフランスに出国。サイゴンの戦争犯罪博物館には反革命について一部屋当てて克明に説明していました。持ち込まれた反革命雑誌や逮捕されたときに所持していた武器の写真、裁判の経過などなど。それも決して古いものばかりでなく、ごく最近のものが結構あります。確かに随分と用心しているようですが、反革命への備えが市民レベルでは解除されてきたとするとやはり政治経済の運営にかなり自信を持ってきているということなのでしょうね。