ベトナムの労働力輸出

 先の渡越でハノイの公安の海外渡航審査部門に行く機会があり、そこでずいぶんと若い人たちを見かけたので、知人に彼女らはどういう目的で海外に行くのか聞いたところ返ってきたのが労働力輸出という回答でした。確かに、服装からしても金持ちが余暇に海外旅行を楽しむという風情ではなかったので、なるほどと思いました。

 ベトナムの労働力輸出は冷戦時代からの歴史を持ち、旧ソ連や東欧諸国など社会主義国と政府が協定を結んで11年間で約30万人を派遣していました。派遣された人々は稼いだお金を貯め、物資に乏しいベトナムの家族へ送ったり、あるいは利益を得るために大量に買い込んだ物資をコンテナに詰めて送って売りさばき多額な利益を得たといいます。また、目先の利く人は、こうして労働協力によって送り込まれた人のビザの延長手続きや帰国のための飛行機などの予約をビジネスとして始め、お金を稼いでいたりもします。社会主義崩壊後もそのままそれらの国に居残り労働を続けていたり、あるいは新しいビジネスを始めたりとたくましく生きているようですが、それらの国にとっては邪魔者になって扱いがかわり、送還される前に国境を越えて逃げたりしている人の数も結構になるようです。

 小説『虚栄の楽園』は、この労働協力を背景にしており、読めば当時の雰囲気がわかります。
 しかし、この労働協力は社会主義圏の崩壊で受け入れが激減し、それまでの労働協力という形態がとれなくなってしまいました。そのため、ベトナム政府は政府が直接協定を結ぶのではなく、労働者を派遣する機関を認可監督する政策へと切り替えました。ハノイやサイゴンには国際労働協力要請育成センターと称するものがあり、ここで外国へ送り込まれる労働者に言葉や技術などを教えています。

  外国への労働者は91年では1000人程度でしたが、95年は1万人、99年には2万 人、2003年は3万人を超えるまでの規模に成長しています。これらの労働者の行く先としては、隣国ラオスと韓国が最も多く、その後にリビア、日本と続きます。日本は単純労働者の受け入れは認めず、研修・技能実習生に限っているためなかなか伸びないようです。
 ベトナムの失業率は都市部では7%前後のようですが、農村部では30%を超え、毎年100万人を超える新規労働力が生み出されるため、ベトナム政府は労働力輸出に多くの希望を託しているようです。
 一方、台湾などに工場労働者やお手伝いさんとして募集され送られたものの、実際には 風俗産業などで働かされるというような例が報道されたこともあり、働きに行く側も、以前ほど何が何でもという風でもなくなっているようです。