メルボルン

 ベトナムなのになぜオーストラリアと思うかもしれませんが、75年以降難民として大量に出国したベトナム人を受け入れた国の中にオーストラリアがあります。もちろん一番多かったのはアメリカで、約100万人以上住んでいると言われていますが、オーストラリアも人口と比較して、かなり多くのベトナム人を受け入れています。
 オーストラリアの人口1800万人に対して、当初難民10万人を受け入れ、その後の家族呼び寄せなどで現在は20万人のベトナム人が住んでいると言われています。現在の人口でいえば1%以上がベトナム人というわけです。そのため、オーストラリアのあちこちにはベトナム人街が形成されており、そこに暮らせばベトナム語だけで用事を済ませることも可能なようです。
 人口が増えるに連れて社会的な地位も上がってくるようで、市議会議員になるような人も現れてきました。残念ながら、その最初の方はその後ベトナムマフィアとのつながりが暴露され、しばらくベトナム人の政治的な地位は後退する見込みのようでした。
 ベトナム人などの非白人が増えるとともに白人側の反発も大きくなり、移民排斥を訴えるような政党も現れ、オーストラリアの今後がどうなるかはわかりません。しかし、成長を続けるためにも移民を必要としている国ですので、今の方向からそんなにはかわらないのではないかと思っています。

 

 オーストラリア第二の都市メルボルンは、様々な国からの移民が多いことで知られています。市内東部のリッチモンドという街にはベトナム料理店、食材店などが集まり、ベトナム人街を形成しています。メルボルンには、ほかにも2つほどベトナム人街があり、スプリングベールという町はリッチモンドよりも庶民的ですが、麻薬売買などの犯罪も多く、ちょっと荒んだ感じがあるようです。
 食材店に入ってみましたが、それこそ、ありとあらゆる食材が並んでいました。加工食品だけでなく、生鮮食料品もまた売られています。また、街の雰囲気は元々が難民を主体としているので、南部のものを引きずっているように感じました。
 ところでリッチモンドに行ってすぐに目に付いたのが、ここの写真に上げた旧ベトナム共和国の国旗でした。街の中央部にあるサイゴンのベンタン市場を模した建物にも、通りのあちこちにも掲げられていました(1999年当時)。

 

 これはいつもそうなのか、それともアメリカのウェストミンスター(リトルサイゴン)でホー・チ・ミンの肖像画を掲げて大騒ぎが起きたことに連動しているのか、それはよく分かりません。しかし、あの事件のあと、このリッチモンドでも大規模な抗議行動があったそうです。
 そうした行動に対して、北部からオーストラリアに留学している学生は良い印象を持っていないようでした。 彼らは、リッチモンドなどのベトナム人街に食料品などの買い物によく行きますが、政治的な立場は異なるため、必ずしも仲が良いとは言えません。もっとも、ベトナムにいるときよりも多くの情報にさらされるため、考え方はベトナムから出たことがない人間と比べるとかなり柔軟になっているようでした。

 

 ベトナム人街は、ベトナム人、中国人をはじめとして東洋人が圧倒的です。もちろん物価が安いため、白人を含めその他の民族も訪れますが、街の風景を撮るとこのように黒い髪ばかりでどこの街かよくわからない光景となります。
 メルボルンの中心街には中華料理店の集まった中華街もありますが、このリッチモンドはそれよりもかなり庶民的な感じでした。