サックさんはミトーで知り合ったシクロ運転手でしたが、元々日本語が好きで独学でかなり話せ、人にまで日本語を教えている人です。今回(97/4)、ミトーに行ってサックさんに会ったところ、サックさんはティエンザン・ユース・ツーリストの日本語ガイドを娘のアイさんと一緒にするようになっていました。こうやって才覚のある人は豊かになっていくのかなあとちょっと感慨深くなってしまいました。それまでサックさんはお世辞にも豊かとは言えない生活をしていたので、特にそう感じました。また、娘のアイさんも、以前はあまり日本語の勉強が好きではなく、サックさんに無理矢理やらされていたような印象を受けていたのですが、今回は非常に明るくなっていました。人間やっぱり衣食足りてというのは真実なのではないでしょうか。
 ベトナム戦争が終わってしばらくは敵性外国語を勉強することが禁止かそれに近い状況にあったようで、サックさんは持っていた日本語の本を全部燃やさざるを得なかったようです。そして、それまでに覚えた日本語を水でガラスに書いては覚え直しということを繰り返し、忘れないように努力したと言っていました。なぜ、それ程までに日本語の勉強を続けたのかと聞いても好きだからの一言で済んでしまいます。彼を駆り立てた原動力は何なのか?今も不思議に思っています。