コーロア
 ハノイから紅河を渡って、ノイバイ空港側のドン・アイン県にあるコー・ロアは、ベトナムで現在確認できるもっとも古い王国オウ・ラク国の都の跡です。実際には、跡にお寺ができているため、お寺が観光地となっているだけなのですが、前から本でちょっと見て行ってみたいなと思っていました。
 歴史と言って良いのか、言い伝えなどからはオウ・ラク国の前にフン・ヴォン王の開いたヴァン・ラン国がありますが、未だに遺跡などは見つかっていません。見つかればそちらも、観光地としてもてはやされそうな気がします。
 中国の史書『史記』によると、フン・ヴォン王の開いたヴァン・ラン国は同じ越族のアン・ズォン王によって併合され、オウ・ラク国となりました。しかし、その後、秦の将軍チェウ・ダによって攻め滅ぼされました。秦の一将軍であったチェウ・ダは、しかしながら秦の滅亡に続く混乱のさなかに自分自身が王となり、南越国を建てたのでした。始めは融和的な政策で臨んでいた漢は、国が安定するに従い攻勢を強め、結局これを攻め滅ぼして1000年にわたる中国支配が始まったのだそうです。
 

 コー・ロア城の跡はいくつかのお寺となって観光地化されています。ここに入るためには入場料が必要ですが、その他の地域と同様ここも外国人料金がベトナム人料金の10倍以上に設定されています。また、観光客目当てに多くの物売りが集まってきて、いつものように値段とかでもめたりするトラブルが頻発しています。
 コー・ロアの遺跡といえるものはほとんどなく、コー・ロアが滅んだときの伝説(チェウ・ダ将軍の息子と結婚し、その息子に国の秘密を教えて滅ぶ原因を作った)であるミー・チャウ姫の首のない石像を見る以外は、ほとんどが単なるお寺参りです。
 そのミー・チャウ姫の石像のある中心のお寺の係りの人は、お祭りの時とかしか見かけないような男性用アオザイを着ています。ここに載せている写真がそれですが、上からシースルーの上着みたいなものを羽織っていました。
 このお寺の前は、広場のようなものになっており、子供たちの遊び場と化していますが、その先には比較的大きな池があり、それがコー・ロアの遺跡の一部のようでした。その池の真ん中には大きな井戸があり、それから湧き出している水が、その池を満たしているのです。

 

 その池の脇にも別のお寺があり、そこにも最初に求めたチケットで入場することができます。境内にはコー・ロアの事跡を書いた石碑がお堂のような所に建っています。石碑には漢字で書かれているので、ベトナム人はその内容が分からず、かえって日本人の方がそれを理解することができるでしょう。僕は途中まで読んで止めてしまいましたが。

 

 

 

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