ベトナムって
1.ベトナムの地理

 正式名称(外務省正式文書):ヴィエトナム社会主義共和国
 ベトナムはインドシナ半島東部に位置し、面積は約33万km^2の南北に細長いS字形の国です(ほぼ日本から九州を除いた大きさ)。日本からの距離は約4000km。関東からも関西からも、ハノイ、サイゴン直行便を使うのが早いです。他に香港経由はどちらの都市へも同日着ができますし、台北経由の便も季節によっては同日着ができたり、ソウル経由の便が安かったりと選択の余地が広がってきました。90年代以前はバンコク経由しかなかったそうですから、昔を知っている人には隔日の感でしょう。今でも、タイ、ベトナム両方を楽しむ人にはバンコク経由は根強い人気があります。
 2002年の成田平行滑走路の開通とともにハノイ直行便が出ることについては滑走路が短いので、どこか(関空、香港、上海?)で給油をする必要があるとのもっぱらの噂でしたが、短距離路線とのバーターをしたのか、経由という話はなくなっていましたね。
 成田便については、2000秋からサイゴン行きが出ています。当初は週2便でしたが、その後ずいぶん増便され、ベトナム航空とJALのどちらかで毎日飛ぶようになってしまいました。共同運行をしているJALの枠を譲ってもらって?関空発着の2便を成田発に振り代えた戸の話しを当時聞きました。外国航空会社の成田乗り入れは11年前のトルコ航空が最後だったとのことですから、結構政治的な配慮があったのでしょうか?でも、なぜベトナムが...?
 その後も、福岡からサイゴン行きが、中部国際空港の開港に伴い名古屋からサイゴン行きが出るなど、人気が継続しているのと、ビジネスで増えているのと両方なのでしょうが、本当に増えました。
 ベトナムと日本との時差は2時間あり、日本の8時はベトナムで6時です。
 ベトナムは北を中国、西はラオス、カンボジアと接し、東と南は南シナ海に面しています。 北部は紅河、南部はメコン川によって形成されたデルタ平野が広がり、南部の肥沃な土壌は米の三期作や三毛作が行われるほどです。中部は山脈が続き、細長くなっており、一番狭いところでは幅100kmを切っています。このため中部の山岳地帯は国防の重要地点となっており、この地域を攻められて南北が分断されることをベトナム政府は非常に恐れています。ラオスとの関係で神経質になる(けっして敵側に回るのを許容できない)のもこの地政学上の問題があるからだと言われています。また、中部は平野部が狭いためベトナム国内でももっとも貧しい地域となっており、秋の台風シーズンには洪水の被害が頻発しています。

2.ベトナムの歴史
 歴史的に見れば、ベトナムの元々の版図はフエ以北で、中心は紅河デルタです。フエ以南がベトナムの領土となったのは14世紀以降、ライバルであるチャンパからハイ・ヴァン峠を譲り受けて後のことです。その後、次々とチャンパの諸王朝を滅ぼし、クメールの版図であったメコンデルタを蚕食していきました。
 このように南部に領土を広げてきたベトナム諸王朝の活動を南進といいますが、これは北方に強大な中華帝国と対峙しており、西は険峻な長山山脈、東は南シナ海に面していたため、南にしか活動することができなかったためです。特に、北の中国には何度も攻められ、10世紀までの1000年間をその支配下で過ごしました。これを北属時代といいますが、ベトナムの安全保障を考える上で消せない重石となっており、ベトナム人にとって脅威は常に北から来るという意識が形成されています。また、ベトナムの英雄のほとんどが中国との戦争での指導者(ハイ・バー・チュンなど)や勝った人(レ・ロイ、チャン・フン・ダオなど)です。
 大まかに言ってベトナムの歴史は、群小国家に分かれていた時代、中国への北属時代、統一国家期、フランスの植民地となり独立に至る近現代というところでしょうか?
 ベトナムの近現代を語る上で避けられないのが、ベトナム(インドシナ)戦争です。最初はフランス、それからアメリカ、そしてカンボジア、中国と戦いの連続でした。
 フランスとの戦争は1954年のジュネーブ協定で終わりましたが、その後、アメリカとアメリカが後押しするゴ・ジン・ジェム政権がジュネーブ協定への調印を拒否し、協定で決められた総選挙が実施されなかっため、いわゆるベトナム戦争へとつながっていきました。この選挙が実施されていれば、当時ベトナム全土で圧倒的な人気を誇っていたホー・チ・ミン氏が勝っていたと言われており、どうしてもアメリカはそれを避けたかったようです。アメリカがベトナムに介入していったのは、ベトナムが共産化することを避けたかったからで、直接ベトナムを植民地にしたかったわけではありませんでした(アメリカのやり方は常にビジネス優先です)が、結果としてベトナムから見ればフランスと同様に見えても仕方ないと言えるでしょう。
 ベトナム戦争は初期においては、南部の住民の自主的な闘争(ベンチェ蜂起など)から発展していったようですが、1968年のテト攻勢のあたりを境に北ベトナム軍が前面に出てくるように変わっていきました。一つには、テト攻勢での解放戦線の人員の損耗が激しく、北ベトナムからの人員の補充なしには立ち行かなくなったことが原因のようです。いくつかあったと考えられる和平の機会も取り逃がされ、軍事的な解決のみでは行き着くところまで行くしかなく、その影響は戦場となったベトナムのみならず、アメリカ社会にも深刻な亀裂を起こしています。
 そして、1975年のサイゴン陥落。北ベトナム軍を主体として、自壊を起こしていたサイゴン政権を葬り去ったのでした。
 平和が来たと思ったのもつかの間、今度はカンボジアとの国境紛争が頻発し、1979年のカンボジア侵攻へとつながります。カンボジアとの戦争は、軍事的には成功したものの、政治的には大失敗で、中国から懲罰!(一体いつの時代なのだか?中国は未だに朝貢国と思っているようです)、そしてアメリカを中心として、経済制裁をされる羽目になりました。
 このカンボジア侵攻に対する懲罰を理由とした中国からの侵攻は、北部国境全域から中国人民解放軍が攻め込んでくるという事態となり、最も深く侵攻されたところでは北部国境地帯から150kmも内部を占領されてしまいました。
 この中越紛争は、ベトナム側が正規軍を出さず、地方軍、民兵主体で対応したために、軍事的な勝敗は実のところはっきりしません。どちらもが勝利を主張しています。中国は目的としたカンボジアからのベトナム軍の引き離しは実現できなかったものの、首都ハノイから150kmのランソンを占領することで、政治、軍事的な効果をアピールしました。しかし、ベトナム側は中国との戦いでは領土に敵を引き込んで殲滅する戦法を取ることが多く、また持久的戦法が主体ですから、短期での戦果では判断できないと思います。一方、中国軍の損耗も激しく、あれで果たして勝利したと言えるかどうか。被害がもっと大きくならないうちに撤退開始をし、政治的に勝利をアピールしたのだと思います。もし、その後ランソンに向かったベトナム人民軍部隊との戦闘が開始されていたらそれも分からないところです。その後中国は、中越戦争で人民解放軍が時代に遅れているとの反省を元に軍の近代化へと乗り出しました。それは、量から質への転換でした。
 戦争を巡っては、政治的な立場で捉え方が全然違います。ここに書いたのはあくまで僕の受け止めかたであることを念頭に置いて下さい。

3.ベトナムの気候
 ベトナムの気候は北部、中部、南部とそれぞれ異なっています。
 北部は四季らしきものがありますが、春、秋は非常に短く、長い夏と短い冬とそれ以外の季節と言ってもいいかもしれません。冬の最低気温は一桁になることもあるようですが、それ以上に湿度が高いためか実感としては寒く感じるようです。向こうで会った人は、湿度のため服の断熱性が確保できないからだと言っていました。あと暖房器具がないのが普通のため、暖をとるところがなくてより寒く感じるのかもしれません。天気は一年を通して曇りが多く、朝方ちょっと顔をのぞかせる太陽はやはり南国のもので肌をきつく焼きますが、その後曇ってしまい南国の太陽を楽しむという感じではありません。街自体の色彩の乏しさと相まって、僕のハノイという街の色のイメージは灰色です(別に悪口を言っているのではありません)。でも、秋に訪れた人は晴れ渡った空のイメージが鮮明だと言っています。
 南部は雨期と乾期に分かれており、一定の時刻(だいたい午後)にマンゴーシャワーの降る雨期は意外に過ごしやすいと思います。雨が降ったあとは、気温も若干下がり、さわやかに感じます。雨期入り前の時期は気温も高く、非常に暑く感じるのでGWに行く人は注意した方がよいと思います。また、乾燥しているために埃が舞いやすくなり、のどを痛めたり、病気が増えたりもするようです。街を歩き回ろうと考えている人は熱射病対策をして、あまりがんばりすぎないよう適宜休憩をして下さい。また、水不足で、氷に使う水が川から取ったりということもあるらしいです。雨期の始まりは5月、乾期の始まりは11月くらいでしょう。
 中部は夏、非常に蒸し暑く、北部や南部より気象条件が厳しいところで、夏から秋にかけての季節には台風の襲来もあります。98年は台風の当たり年で、何回かの台風襲来で統一鉄道が寸断され、不通になっていました。といっているうちに、99年の洪水被害は死者200人を越し、過去70年で最悪になったという情報が飛び込んできました。秋に鉄道を使って移動しようという方は注意が必要だと思います。また、下手をすると町中が水浸しで移動に困難があるかもしれません。ホイアンの街はよく水浸しになっています。昔から中部の人間は木魚で飯を食うと言われるほど貧しい地域で、確かに見た目の土壌もやせて感じられます。そのためか、革命に活躍した多々の人を排出し、ホー・チ・ミンやヴォー・グェン・ザップもこの地域の出身です。
 フエとダナンの間にあるハイヴァン峠を境に中部の気候は大きく変わります。おおざっぱに言って、北側は北部よりの、南側は南部よりの気候になります(あたりまえですが)。ハイヴァン峠を越えてダナンに入ると湿気が減り、風が心地よく感じられます。

平均気温 (℃)

都市名

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

ハノイ

16.6

17.2

19.9

23.4

27.1

28.7

28.8

28.3

27.2

24.6

21.2

17.8

ダナン

20.1

21.4

22.9

25.9

28.1

29.3

29.2

28.9

26.9

25.0

23.3

21.2

サイゴン

25.8

26.7

27.9

29.0

28.2

27.3

26.6

26.8

26.6

26.7

26.4

25.6


4.ベトナムの民族
 ベトナムは、現在54の民族が確認されている多民族国家です。ただ、この54というのがくせ者で、現実には、過去の区分けが曖昧で本来であれば2つに分けても良いような集団を一くくりにしたままだったり、すでに他の民族に吸収されかけてなくなっているもの同然の民族を説得によって維持していたりなどの事例があるようです(ベトナムの社会と文化2 ベトナム社会文化研究会編 風響社)。こうして、54の民族数は実際には政治的に維持されているようです。
 54の民族のうちキン族(狭義のベトナム人)が約8割を占め、残りを53の少数民族が占めています。主要な少数民族としてはタイ族(120万人)、ターイ族(100万人)、ムオン族(90万人)、華族(90万人)、クメール族(90万人)、ヌン族(70万人)、モン族(60万人)、ザオ族(50万人)などがいます。
 ベトナムの一般的な情報については、外務省が出している公式情報も参考にして下さい。

5.ベトナム人
 狭義のベトナム人(キン族)は元々華南(広東省のあたり、昔の越の国)に住む種々雑多な生活習慣を持つ民族の集まり、百越の一つだったのではないかと言われています。百越の一つであるタイ系の民族を基層とし、移動先の様々な民族の言語、文化的な影響を受けて今のキン族の元となる集団が形成されたと言われています。それが1000年に渡る中国の支配下における影響を受け、現在のキン族が形成されたと考えればよいのでしょう。
 日本人のルーツが何かというのがようやく最近遺伝学的調査などで分かってきたのと同様に、ベトナム人のルーツもまだ正確にはわかっていません。これから先、遺伝学的調査なども進み、だんだん分かってくるのではないでしょうか?

6.日本との関わり
 ベトナムと日本との関わりについては、食べ物や習慣の類似性などから大昔からつながりがあったのではないかと言われていますが、歴史上の事実として記録されているのは奈良時代遣唐使が唐よりの帰国の途上、流されて現在のベトナム中部へとたどり着いたのが最初と言われています。また、ちょうどそのころ唐への留学生、阿倍仲麻呂が安南都護司に任命されるという出来事もありました。
 また、近現代においては、日露戦争での日本の勝利が他のアジア諸国と同様に衝撃を与え、東遊運動という留学生派遣事業を生み出してもいます。ただ、これが西欧諸国の要請で取り締まられ、下火になっていくのも同様です。日本は不平等条約の廃止などを目的に、とにかく西欧諸国に受け入れられるようにするのが精一杯だったということですが、後世から見た場合、アジアの兄弟たちの兄貴分として振る舞うことはできなかったのかという思いは捨てがたいものがあります。

ビザの取得
 ベトナムへの入国に関しては、以前はビザが必要だったのですが、日本人観光客の増加を企図して、2週間以内の観光旅行については2004年より免除となりました。
  以下の情報が全く過去のものですが、以前がどんなものであったかというのを示すために、残しておきます。

以下は過去の情報です。

2002年の主な変更点は、
1.短期観光については招聘状を取らなくとも在日本大使館では発行。
2.それを受けての即日発行。
3.入出国地点の限定がなくなった。
というところでしょうか。遠隔地に住んでいても、大使館にパスポートと料金を送ると数日で処理してくれるそうですので、本当に様変わりです。一方、旅行代理店経由でお願いするときにはそれほど変わっていないようですね。大使館のページにも説明が出ていますので、下のリンクからのぞいてみて下さい。
 あと、空港渡しのビザというものもあって、何人かやった事例の報告を聞いています。ただ、これについては初期の段階で航空会社とトラブルになったという話も聞いています。というのは、航空会社はビザを持っていない人間をベトナムへ入国させられないという建前がありますので、引換証で現地でビザを受け取ることができるというのを説明しなくはならず、直行便ならまだしも、経由便だと英語で説明する羽目になるので大変らしいです。
 ビザがスタンプからシールへと変わりました。しかし、いずれにしろ1ページを完全に埋めてしまうやっかいなものです。
 ビザの種類は、一ヶ月の観光シングル。ビジネスの場合は六ヶ月のマルチビザもあります。

ビザには入出国の地点が書かれており、普通はノイ・バイ空港、タン・ソン・ニャット空港になっています。入出国のどちらかを陸路にするときにはビザの変更が必要です。
 ビザの取得は、

1.現地旅行社へ招請状申請
 ↓
2.お金の払い込み
 ↓
3.送金控えを現地旅行会社に送付
 ↓
4.公電を受け取る
 ↓
5.大使館(領事館)で書式に則り申請
 ↓
6.ビザ入手

となり結構面倒です。ビザの取得は時間に余裕のある人でない限り、旅行代理店にやってもらった方がいいと思います。また、最近はネット上にもいくつか手配をしてくれるところがあります。リンク集の方など、参考にして下さい。
 また、最近は大使館に行って申請だけすると、招請状の部分(1〜4)はやってくれていたりもするみたいですが、料金が本来の値段よりも高く1万円くらいかかるという報告もされています。このあたりは、状況によって変動しているようで、最近はそんなに高くないという話もあるようです。また、以前は大使館(領事館)まで行かなくてはならなかったと思うのですが、最近は郵送でも大丈夫らしいです。このあたりは直接確認してみましょう。


ベトナム社会主義共和国大使館
 〒151-0062 東京都渋谷区元代々木町50-11
 TEL:03-3466-3311/3313/3314
 FAX:03-3466-3312/3391/7652
 小田急線代々木八幡駅
 営団千代田線代々木公園駅 徒歩5分
 
ベトナム社会主義共和国総領事館
 〒541-0059 大阪府大阪市中央区博労町1-4-10
          エステート博労町10F
 TEL:06-263-1600
 地下鉄堺筋線堺筋本町 徒歩5分 

受付時間 月〜金 10:00〜12:00 14:00〜17:00
閉館日 (土、日、日本とベトナムの祝祭日)
申請書1枚(コピー可:以前は2枚だった)  写真 3x4cm 1枚(以前は2枚だった)   
旅券 3ヶ月以上の残存有効期間が必要   
費用 旅行社に依頼して(どこでもこの通りかは分かりません)
    通常(9日)  ¥12,000(最近9000円に下がったみたい)
    特急(5日)  ¥15,000
    超特急(3日) ¥21,000
     ただし、受け取りなどでそれぞれ前後一日程度必要です。
この費用がなんとも怪しいのですが、ラオ・ドンなどを読むと大使館で純粋にビザにかかる費用は30ドルなんですね。カンボジアなどで撮る場合にも30ドルと聞きますし、差額がどうなっているか、想像してしまいます。


入国審査
 ベトナムでの入国審査は最近短くなったような気がしますが、結構時間がかかります。入国者のデータをきちんとコンピューター入力しているためのようです。
 入国に必要な書類はパスポート、ビザ、出入国カードです。以前までは、あとよく分からないAPPLICATION FOR ENTRY AND EXITという書類があって、この書類(写真も必要)を持ってなくて、書けと渡されて追っ払われる人を一時期よく見ました。これも初めての時だけ必要という話だったのですが、なくなって審査が簡単になったのは歓迎すべきことでしょう。
 入国審査の時に注意することは出国カードが返却されているか確認することです。これが返却されていないことが時たまあり、出国時に50ドルの罰金を取られるということが起きていました。ところが、今やハノイではこの紙を出国時に取ることさえなくなってしまい、時代の変遷を感じさせられています。ベトナムに取り、観光産業がいかに重要になっているかの証拠なのでしょうね。
 入国審査が終わり、そのまままっすぐ行くと税関申告です。荷物を預けている人は、その前にノイ・バイでは右手に、タン・ソン・ニャットでは左手にターンテーブルが回っています。
 税関を抜けると黒山の人だかりができていて、そこからいよいよベトナムの日常へと投げ込まれます。

空港から市内までの足
 ノイ・バイ空港は昨年(2002年)改装され、雰囲気が以前のものと全然異なっています。社会主義国の寂れた空港という風情の以前のものが懐かしいでもないですが(笑い)、ようやく首都の表玄関としてまともな空港になったという感があります。
 ノイ・バイ空港からハノイ市内までは、タクシーやベトナム航空のミニバスがあります。以前の価格ですと10ドルと3ドルだったのですが、最近でも変わっていない様です。以前はどちらも入国審査を出て、税関検査に行く途中のカウンターでチケットを販売していたのですが、ちょっと現在の状況を確認するのを忘れてしまいました。ミニバスはホアン・キエム湖やハノイ教会に近いベトナム航空国際線事務所前に到着します。運転手に1ドルくらい渡せば、途中のホテルで降ろしてもらうことも可能です。また道筋であれば、途中で降りることもできます。旧市街であれば、ハノイタワーあたりで降りて、タクシーを使うのも良いかもしれません。
 また、現在は市内バスもノイ・バイ空港まで行っており、どうしても安くあげたい、あるいはものの試しにという方には新たな選択肢を広げてくれます。料金は均一でなんと2500ドン!荷物の多くない人は、一度は試してみてもいいかも知れません。ただし、時間の余裕のある時だけですね。路線としては、キンマ通り、ホーアンキエムという空港からのメインルートを行き大歌劇場に近いヒルトンハノイのそばを通り、Tran Khanh Du(歴史博物館のそば?)まで行く7番と空港を出て、7番と反対の方向に走り、Dong Anh、Gia Lamという田舎ルートを通ってLong Bien橋のふもとまで行く17番があります。時間的には7番の方が早いと思いますが、ハノイ近郊の田園風景を楽しみたいという方には17番がいいかも。Co Loaに行きたいという方にも17番は重宝するかも。詳しくはHANOI TRANSERCOのページで御確認ください。
 以前ノイ・バイ空港の両替カウンターでは日本円を扱っておらず('95時点、その後は試していません)、また開いていないこともあったのですが、もうそんなこともないでしょう。以前だったら、少額のドルを持って行くことをお勧めしていたのですが。
 タン・ソン・ニャット空港からサイゴン中心部まではタクシーで50000ドンをちょっと越すくらい、メータータクシーを使い、必ずメーターを倒させましょう。結構、悪質なドライバーが多く(特に若い人)、メーターを倒さずに行って料金を水増ししたり、遠回りをして余分に払わせようとします。怪しいときにはドライバーの名前をこれ見よがしに書き留め、タクシー会社に連絡しましょう(振りでも良い)。タクシー会社も競争が激しいので、苦情には敏感になっているようです。

出国
 出国時の足は空港から市内への逆ですので、特筆すべきことはありません。
 ハノイの市内バスは時間的に余裕のある時だけでしょう。あと、時間によっては通勤、通学客で大混雑していますので、大きな荷物を抱えて乗るのはかなり苦しいです。空港が新しく大きくなった分、タクシーを使っておりる時にはエアラインの指定を行わないと少し歩く距離ができてしまうというのも隔世の感です。新しくなったため、空港使用量がまた高く14ドルとなっていました。ドンで払う時は270,000ドンだったような・・・、でもレートで計算するとあわないですね。確認しておきます。
 サイゴンの空港もいずれは更新されるのでしょうが、プライドの高いハノイの人間がわざとそのままにさせておくということも無しではなさそうな。

市内の足
 サイゴンではタクシーが一番便利です。人数がいればかえって安くつきますし。一時期人気があったシクロは、問題が多く、また道路の邪魔者扱いされて進入禁止のところが多く、役に立たなくなってきました。情報としてはちょっと古くなってしまっていますが、シクロについての詳しい情報は[シクロ]を見て下さい。町中にはバイクタクシーも多く、比較的安く便利なのでこれを使うことも多いでしょう。ただ、ベトナム人の運転は結構乱暴で自信過剰の気がありますので、リスクがあることは覚悟して下さい。私はバイクタクシーに乗って、突然Uターンしてきたバイクに腕を当てられたことがあります。幸い、打ち身だけですみましたが。
 ハノイでもタクシーが増え、いまやサイゴンとの差はなくなっていると思います。い間や、ハノイでもシクロは観光客向けの乗り物と化してしまいました。
 その他の都市でもタクシーがどんどんでき、いずれシクロはなくなっていくのだろうなと思わされてしまっています。
 サイゴンやハノイなどではバイクのレンタルもやっています。レンタルするためにはパスポートを預けるか保証金を1000ドルくらい預ける必要があります。レンタル費用は8ドルくらいからだったと思います。でも、あんまりお勧めはしません。何せ、上にも書いたようにベトナム人の運転って日本人から見て滅茶苦茶ですもの。前を見て走っていると思ってはいけませんし、あうんの呼吸のようなあのリズムは外国人には厳しいような気がします。僕はバッチャンに行くときとハノイ市内を動くときにバイクを借りました。でも、やっぱり、怖かったです。これでも中型の免許持っているのですが...。

衛生
 ベトナムはWHOによってSARSの伝播地域に指定されました。そして最も早くSARSを克服した国となりましたが。詳しくは[SARS]を見て下さい。
 ベトナムの衛生状態はあまり芳しくありません。屋台や食堂などでの飲食について、食器が必ずしもきれいな水で洗われていない場合もありますので気をつけて下さい。また、生水については注意して下さい。
 感染症関係では、全土がマラリアの発生地域に指定されており、また南部にはデング熱の流行もよく起きています。ともに蚊を媒介して感染する病気ですが、ともにあまり有効な予防手段がないため蚊にさされないようにすることが一番の予防方法と言われています。媒介する蚊は、マラリアとデング熱では異なります。日中はデング熱(ネッタイシマカ)の、夜間はマラリアの媒介となる蚊(ハマダラカ)の活動が活発となる時間帯です。マラリアはマラリア原虫によって、デング熱はウィルスによって引き起こされます。
 マラリアの症状は一定の潜伏期の後、体温上昇と共に悪寒、震えが1〜2時間続き、その後さらに体温上昇、頭痛、嘔吐、筋肉痛などをきたし、これが4〜5時間続き発汗と共に解熱します。原虫の違いにより三日熱、四日熱、卵形、熱帯熱の4型に分類されます。熱発作の間隔は三日熱や卵形では48時間、四日熱では72時間です。熱帯熱では高熱が持続し、適切な治療をしないと致命的になります。
 マラリアの診断には血液検査が必要です。発熱している患者さんを診るとまずマラリアを考える人もいて、場合によっては血液検査せずにいきなり抗マラリア薬を処方されることがあるようですので、必ず血液検査を受けるようにしましょう。マラリアの種類によって使う薬が違ってきます。
 マラリアの治療は、普通は飲み薬で行われますが、脳マラリアなどの重症例では点滴が必要で入院となります。重症例は命に関わります。子防方法は、ハマダラカに吸血されないことが一番です。日没後から日の出までの間に吸血する習性があるので長袖で少しダブダブで明るい色の衣類を着て、虫避けスプレー、蚊取線香、蚊帳等を使用すると良いでしよう。なおスプレーの効果は5時間位と考えます。抗マラリア薬の予防内服が必要であるかどうかは―概には言えません 。
 デング熱の症状は、1週間程度の潜伏期の後、突然発熱(38〜40度)で始まり、数日から1週間くらい続きます。英語名でbreakbone feverと呼ばれることがあるように、関節痛、頭痛、筋肉痛(特に腰背部痛)、目の奥の痛み、食欲不振も起きます。熱が下がることから手足の先に少し痒い細かい発疹が出てから自然に回復に向かいます。このように普通は命に関わるような病気ではないのですが、中には出血傾向(全身から血が止まらなくなる)が出て重症化することがあります。これは「デング出血熱」と呼ばれ、入院して厳重な管理が必要になります。放置すると死亡することもある「デング出血熱」は15歳以下の子供で2回目にデング熱に罹った時に起こりやすいのです。

ベトナムの感染症情報



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