トーリック川の近くで
 トーリック川の近くにあるトゥイクエ通りには古いお寺が並んでいます。周りは観光とはいっさい関係ない普通の街並み。ぼーっと歩くのにはいいところでした。暑さのあまりぼーっとなっていたのかも知れません。暑さのためベトナムではほとんど歩く人はいないくらいです。
 そうした古い寺の一つに入ると老人達が朝の時間をお茶を飲みながら過ごしていました。一見して怪しい外国人なのに、親切にも中の一人がお寺の中を案内してくれました。すべてベトナム語なのでよく分からなかったけれど、10世紀頃に作られた由緒正しいお寺のようでした。祀られている人物の説明を聞き、お参りをして、お茶を飲むかと聞かれたので喜んでいただきました。
 そして、ほとんど通じないけれど、せっかくだからと怪しげなベトナム語を使い交流をはかってみました。

 家族のことから、ハノイの印象、昔のことなど聞かれました。また彼らも昔のことなど語ってくれます。日本軍の兵士のことも出てきました。特に非難されることはなかったのですが、日本兵は威張っていて怖かったようです。そして日本語を知っていると言って、『こんにちは、ありがとう』などと一緒に『上等』と言う言葉が出てきたのには驚きました。以前マレーシアに行ったときにも聞いたし、アジアのあちこちでこの言葉を聞く気がします。大戦中の200万人餓死の話もありますし、そういうときは何となく気詰まりになるものなのですが、フランスやアメリカとの戦いが長かったためか、日本に対する感情は相対的に良い感じです。
  また、ベトナムの老人ってみんな歳をとると枯れてきて、ホーチミンのようになってくる。そんな感じがしてなりません。
 象のお寺を出てトゥイクエ通りをブォイ市場まで歩く間にもたくさんの小さなお寺がたくさんあって、心誘われます。そうしたお寺には日本と同じように幼稚園を併設しているものもありました。ベトナムの子供達って、目がくりくりして本当にかわいいです。しかし、そうした子がホーアンキエムの周りではストリートチルドレンとして物売りをしているのは社会主義国なのになぜと思わずにいられません。もっとも、彼ら自身は非常にタフですけれど。

古楽器の演奏
 そういうわけで、この象のお寺にはハノイに行く度に寄るようになってしまいました。3人のおじいさんは、さすがにこんなところまで来る日本人は少ないためかぼくを覚えてくれて、行く度にちょっとばかりの雑談(になっているのか疑問だけど)をして、お茶などをごちそうになります。昨年(97)のお盆休みにもそうしてまた行ったら、なにやらいつもよりもたくさんの人が集まり、楽器の演奏をしているではありませんか。
 いつもぼくの相手をしてくれるおじいさんがぼくを見つけ、手招きして迎え入れてくれました。

 そこで、こんなにたくさんの人がいるのはなぜかと聞いてみると、その日は秋の始まりを祝う日だということでした。なぜ、みんなが楽器を持ち寄って集まり、演奏を楽しんでいるのかは分かりませんでしたが、そばでその演奏を聴いているのはなかなか心地よいものでした。
 やがて演奏も終わり、くつろいでいるといつものおじいさんが、今日はあなたにベトナムのチェーをごちそうすると言って、演奏をしていた人たちの方に連れて行ってくれたのでした。チェーは餅米の上に甘いたれをかけたようなもので、おいしいけどちょっとくどく感じました。
 ほかのおじいさんたちも交え、どこからきたのかとかいつものように会話が始まり、一人のおじいさんがフランス語はできないのかと聞いてきました。昔学校の先生をしていたそうで、昔の教養人はやはりフランス語ができるのだなあとちょっと感慨に耽ったのでした。
 日本に帰ってからこの写真を知り合いに見せると、昔の教養ある男の人は仕事をせずに楽器を弾いたり、詩を詠んだりして過ごしていたんだよと言われました。まるで、映画『青いパパイヤの香り』で主人公の奉公先の主がしていたように。

カード遊び
 今年(98)のGWはまたハノイへと行ってまいりました。GWのハノイは急激に暑くなり、決して過ごしやすいとはいえません。でも、だんだんハノイのことが好きになってきています。それは、この象のお寺のおじいさんたちのように知り合いが増えてきたからでしょう。今回もハノイに行ったときの恒例になっている象のお寺詣でをしたとき、ご老人たちがカード遊びに興じていたので、しばらく見物していました。
 老人たちの一人によるとこのゲームはCha('nといい、中国から渡ってきたものだと言っていました。ゲームは同じ種類のカードを集めるのが基本のようですが、同じカードの組をCha('n、異なるカードの組をCa.というようで、その組が何かの役になっているようです。印象としてはトランプのセブンブリッジのような感じでした。
 ゲームはまずカードを配るところから始まります。おっと、その前に掛け金を中央の皿の下の箱に入れなければなりません。そう、このカード遊びは賭事なのです。
 お金を入れてエントリーがすむとカードを配りますが、すべてのカードを配るわけではなく、人数分とあと真ん中に残しておくカードに分けます。
 さて、自分のカードを取り、配られたカードをそれぞれ自分で分けて組ができているかを確認します。そして、組になっていないカードから確率の低そうなカードを捨て、新しいカードを引いて同じ組を作っていくわけです。
 また、他人の捨てたカードを取ることもできます。取れるのが順番によるかどうかは確認できませんでした。
 さて、そうやって組を作っていき、うまく役ができたら上がりです。役によってもらえる掛け金も違うようですが、どういった役なのかはさっぱり分かりませんでした。
 しかし、このカードゲームはやっている方としては熱くなるなかなかおもしろいもののようで、いつもはぼくの相手をしてくれるおじいさんたちが、ゲームにかかりきりになってあんまり相手をしてくれませんでした。ちょっと悲しかった。
 このCha('nというゲームは北部のもののようで、南部にはba`i tu+' sa('cという、似たようなゲームがあることを帰国してから知りました。


 また、その後の情報で、このカード自体はTo^? to^mというらしいことが分かりました。Cha('nはその中の遊び方の一つらしいです。トランプと同じように、同じカードを使っていろんな遊び方があるようですね。




テトの光景
 残念ながら、私はテトのベトナムは訪れたことがありません。そのころに行った人や在住者に聞くとおもしろいという意見と、つまらないので一回くらい体験すればいいやという意見に分かれます。でも、在住者はベトナムの休みが少ないこともあり、唯一の長い休みとなるテトの時期は海外に逃亡することが多いようです。
 で、体験したことのないテトの雰囲気なのですが、テトの2週間くらい後に行ってみたことがあるのですが、街や家々にはテトの飾り付けがまだ残っていました。お寺にあった蜜柑(Ca^y qua't ngay te't)の飾り付けはクリスマスツリーのようです。あと、各家庭では桃の木にテトのカードが枝に取り付けられ、これもクリスマスツリーのように飾られていました。

Lan Ong通りの観相師
 ベトナムでは社会主義の成立とともに占いなどは迷信として禁止され、抑圧されてきました。しかし、陰ではしっかりとその伝統は続いていて、人々は進学や結婚など、人生の転機に訪れ、未来を占ってもらったりしています。
 僕も一度知り合いに連れられ、漢方薬などの材料を扱うLan Ong通りへと行きました。そこで、手相、人相を見ているという人に引き合わされたのです。その人は、お金を取って占っているわけではなく、人はそこを訪れるとき果物とかの差し入れをしているようです。聞いた話では、商売としている人もいるとのことです。
 僕が占ってもらったのは当然ベトナム語なので、簡単な旅行会話ならまだしも、さすがに分からないので、内容については知り合いに訳してもらいました。
 最初はまず手相からです。手を取り、見ている様は特に日本でやっている手相と変わらないようです。もっとも僕は日本でも占いを見てもらったことはありませんが。生命線などを見て、どういう運勢にあるとか語っていきます。
 手相の次は顔でした。懐中電灯で顔を照らし、丹念に見ていきます。顔に付いている傷なども読みとり、過去とそれからどういう人生を歩むかの未来を語ってくれます。
 占ってもらった内容は、当たっていることもあり、当たっていないこともありでした。機会があれば、こういう占いに行ってみるのもおもしろいかもしれません。
 あと、民間療法を体験するとか。悪い血を集めるザッ・ホイ(Giac' Hoi)やカオ・ゾー(Cao. Gio')は有名ですが、それ以外にも漢方のような薬や食べ物がたくさんあるようです。

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