変わるハノイ
 ひさしぶりに訪問したハノイは、めっきりと都会になっていました。特に高い建物等は増えてはいなかったものの、サイゴンのように増えたバイクは洪水のように街を流れ、交差点には信号がともっています。タクシーの数も種類も増え、シクロはハノイでも街の片隅に追いやられて、観光客向けの特別な乗り物と化していました。
 郊外へ行く道路は、どんどん新しく広いものが建設中で、ハノイから一歩出たらでこぼこ道だったのが遠い昔の様です。また、いつの間にかとても便利な市内バスもできていて、通勤、通学の主流となっていました。朝晩のラッシュアワーのバスの混み具合は半端ではありませんが、料金は2500ドンと非常に安く、路線もかなり広範囲に広がっているため、ほんとうに便利です。ノイバイ空港から市内へ行くバスも2路線あり、安上がりに出ることができますが、時間がかかることと、ラッシュアワーにあたった場合は大きな荷物が邪魔になることは注意しておく必要があるでしょう。
 一方、バイクの増加に伴い大気汚染が深刻になり、これまでハノイではあまり見ることがなかった月光仮面姿やマスク姿の人が非常に目立つようになりました。自転車に乗っている人でもマスクをしていたりします。あるいは、人によってはバスに乗り込んだあともマスクをはずさなかったりするため、SARS感染地域の指定が取れる前は大気汚染を気にしているのかSARSを気にしているのか分からないところでした。
 ベトナム政府は昨年からバイクの増加を抑えようといろいろな手段(外貨を稼いでいる輸出向けの工場への部品まで割当制にしたり、ピントをはずしていることも多々ありますが)を講じていますが、見た感じでは特にそれが有効に働いているという印象は受けませんでした。

建都1000年
 ハノイがベトナムの首都となったのは、1000年にわたる北属期を終え、中国から独立した910年。李朝が当初北属期の安南都護符がおかれていたためその記憶が残るハノイを避けて都をおいたホア・ルーから、ついに都をハノイに戻してからでした。当時の名前はタン・ロン(昇龍)。
  ハノイは2010年に建都1000年を迎えますが、あちこちで記念プロジェクトが進んでいるようです。2005年に訪問した時、空港から市内に向かう道沿いに凱旋門を見つけました。なかなかおしゃれな作りになっていて、印象に残りますが、昔のハノイだったらちょっと浮いていただろうなという感じです。今は、この門が建つハノイ西部一帯はすごい勢いで開発が進み、昔のハノイの面影はなくなりつつあるので、この門もそれほど浮いた感じはしませんでした。
 今のところ、この門を通じてハノイに行く道はないようでしたが、空港からハノイへ行くのにこの門を通らなければならなくするようだと、ハノイの印象も本当に大きく変わるでしょうね。

 

存在感を増す韓国
 韓国のドラマが人気という話を聞いていたのですが、確かにTVの人気番組として韓国ドラマがたくさん放映されていました。そうして街角で見かける韓国の影響を示すものも増えていました。Samsungの携帯電話は人気ですし、街中ではKinh Hang Quocという韓国ファッションのお店が目立つようになってきていました。最初見た時、いったいなんだろうと思ったのですが、一緒にいた知人が教えてくれました。メーキャップも韓国風が人気みたいだし、台湾と同様最初は日本、それから韓国というようにアジアの中でも流行に多様性が加わってきたのでしょう。
 その一方で、ベトナム戦争時代の歴史を掘り起こす作業も進められ、韓国軍から受けた被害に対しての声がこの数年上がるようになってきました。今のところ、ベトナム政府は過去のこととして、特にこの件を追求する様子は見られず、むしろ経済的に重要な関係となってきている韓国への配慮が優先しているような感じですが、被害に遭った村々では忘れるに忘れられぬ出来事として記憶に刻まれている様です。
私の村は地獄になった(ニューズウィーク)
償いは必要ないあれは戦争だった(ニューズウィーク)
 その韓国においては女性研究者がベトナム戦争時の韓国軍の残虐行為についてまとめ、韓国内で大きな反響を呼んでいました。大体は戦争の大義(共産主義に対する正義の戦い)を否定するものという反発のようですが。

 

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