チャムの聖地

京族の南進以前からミーソンの地はチャム族の聖地でした。チャム族は海洋民族で海のシルクロードの担い手でもありました。10世紀くらいまでは、京族と対等に対峙してきたのですが、中国の支配下から離れた京族は南進を開始します。それでも天下の要害、海雲峠がチャムの支配下にあった間は持ちこたえていましたが、京族の王女を迎えるためにその地域をチャムの王が割譲したあとは坂道を転げ落ちるような衰退が始まりました。一時期ハノイに逆に攻め込むなどの反撃もあったものの、一時はアンコール王朝を滅ぼすまでの勢力を誇ったチャンパ王国も歴史に名を残すのみとなり、チャムの人々はベトナム、カンボジアにわずかに暮らすのみとなってしまいました。

チャムの美術
 僕が最初にチャムの芸術に接したのはバンコクの国立博物館でした。ビザの手配が付かず、ベトナムに行けないままタイをまわっていたその旅行の最後に出会ったのがタイの王様がベトナムから持ち帰ったというチャムの石像でした。
 チャムの石像は豊満で生命感に溢れとても魅力的なものでした。それまで特にチャムについて関心がなかった僕でしたが、ベトナムに行った暁にはチャムの芸術に触れてみたいと思ったのでした。
 チャムはもちろんタイやクメールと同様インド文化の影響を受けています。しかし、チャムの建造物に特徴的なのはその材料としてレンガにこだわったことにあるそうです。レンガは世界を構成する土と水をこね合わせ、別の構成要素である火を用いて焼き固めるものです。ここに宗教的な意味を見いだしたチャム族は、建造物に制限ができるのにも関わらず、ずっとレンガを使い続けました。石を使えばクメール文化のようにもっと壮大な構造物もつくれたのでしょうが。そのため、チャムの遺跡は圧倒的な印象を与えるまでにはいたりません。

ミーソン遺跡
 ミーソンの遺跡はいくつかのグループに分かれて存在しています。残念なことにベトナム戦争のため大きな被害を受け、なくなってしまった遺跡も数多くあります。残っているものも痛んでいたり、盗掘の被害にあっていたりと散々な目にあっています。また、目立った像などはダナンのチャム芸術博物館の方に飾られています。それでも、この遺跡の魅力はいささかも減ずるものではありません。草地に立つこの遺跡群はかつてのチャンパの栄光を放っています。そして人間の営みの哀しさも。

 ミーソンの遺跡へはダナンやホイアンから日帰りで行くことができます。ダナンからだとバイクの後ろに乗って$15くらいで連れて行ってもらえます(1995春)。あるいは旅行社で車をチャーターすると$50くらいでしょうか。途中の道がかなり悪いので車の方が無難かも知れません。でも、橋が壊れているのでいずれにしろ途中からバイクになると思います。現地はかなり暑くなるので日除けと水を持って行くのを忘れないようにした方がいいでしょう。
 ところで、このミーソンの遺跡の保存修復活動には日本の研究者チームが関わっています。日本大学の重枝先生という方で、地球の歩き方のミーソン遺跡の項はこの方が書かれています。

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