ミトー
 ミトーの街はサイゴンから70kmほど離れたメコンデルタの入り口にあります。サイゴンからはチョロンバスターミナルからローカルバスが出ていて、二時間強でバスターミナルに着きます。ターミナルでチケットを買うと9000ドン、車内で払うと10000ドンになります。これは外国人だからということではなく、ベトナム人も同じようです。ローカルバスは日常の生活がよく分かるので一度試してみるといいと思います。気さくに話しかけてくる人も多いですし。
 ミトーのバスターミナルは街の中心からは離れているので、バスターミナルからは、シクロ、バイクタクシーなどで行くしかありません。ミトーの中心部までシクロで5000ドンくらいかかります(96年当時)。最近は物価が上がったためか、もう少しかかるかもしれません。街の規模は非常に小さく、居心地の良い街ですが見るものはほとんどありません。
 サイゴンからの一日メコンデルタツアーはミトーに来ますが、内容はティエンザン(前江)の遊覧、スネークファーム、ヤシ教団の島、果樹園巡り、お寺参りくらいです。あと、昼食はレストランで象の耳という魚を食べさせられることが多いです。
 メコンデルタツアーはやっぱり支流を小舟で行ったほうがいいと思います。支流が網の目になったようなところをボートで巡らないと本当のメコンデルタの姿を見れないと思います。以前は支流のツアーはなかったのですが、最近はミトーでもできるようになったので、ジャングル気分も少し味わえるでしょう。

 最初にミトーに行ったのはサイゴンからの一日ツアーでした。サイゴンツーリストの50ドル近くする贅沢なものでしたが、値段の割に内容は上に書いた通りで、なおかつその当時は支流巡りはなかったため、そんなにおもしろいものではありませんでした。ただ、一つだけ良かったことは参加者が僕だけだったので、ガイド、運転者付きの大名旅行を独り占めでき、ガイド氏と行き帰りの間、いろいろ話ができたことでした。
 それから、またミトーではティエンザンツーリストの女性が遊覧船で本流を、それから遊覧船を下りて果樹園を案内してくれました。メコンの本流は本当に海のようですがゆったりと流れ、川を渡る風も涼やかで気持ちが良かったです。ガイドの女性とも二人きりでしたので、いろいろな話ができて楽しかったです。日本人とベトナム人の若い世代の価値観、結婚に対する態度、やりたいこと。ベトナム南部の若い世代の人が何を考えているか少し分かった気がします。
それとベトナムの女性はやっぱり魅力的でした(^_^)。

 しかし、僕がミトーの街が好きになったのは2回目の旅行のためでしょう。泊まりで行って小さい街て落ち着けたのと、知り合いができたのが大きかったと思います。
 ローカルバスで行って、バスターミナルは中心部から離れているため、街に行くためにシクロを雇おうとすると日本語でふっかけてきたのがサックさんでした。サックさんは、もう二十年以上独学で日本語を勉強しているそうです。
 本当なら5000ドンのはずのバスターミナルから中心までの距離に3ドルというのはひどいと思いながら、なぜこの人は日本語がそんなにうまいのか気になって、1ドルにしてもらって、ミトーの街を巡ってもらいました。まずはホテルをあちこちを連れていってもらい、一通り見たけど気に入ったところがなかったので、結局リエンドアン・ラオドン・ゲストハウスにしました。エアコンは付いていないけど、風が吹き抜ける構造になっていたので比較的快適でした。翌年行くとエアコンのついた部屋ができていましたが、値段も倍になっていました。
 その後、街を巡ったのですが、ミトーは小さな街で本当にみるべきものはありません。その中では小さいけど活気のあるマーケットがとても良かったです。
英語の練習
 そのマーケットの中では突然品のいいおじいさんから英語で声をかけられました。マーケットに来るとときどき外国人がいて、英語で話ができるのが楽しみとのこと。しばらく、英語で会話しましたが、かなり流暢な英語で聞き易かったです。
 その後もミトーに行く度に何度かそういうことがありました。今回(98.8)も4/30日通りのメコン川に面した公園で夕方ぼーっとしていると、次から次へ英語で話しかけてくるおじいさんたちがいたのです。聞くと彼らの年齢は60歳くらい。そう、彼らの青春はアメリカ文化と共にあったのです。
 君はビートルズというのを知っているかね?そう聞くとあるおじいさんはいきなり、Hard days nightを歌い出しました。そうしてその後、何曲か声を合わせて歌い、別れていったのでした。何とも感動的な体験でした。

メコンの逆流
 そのときぼくは、ぼーっとメコンの流れを眺めていました。場所は4/30通りの川に面した公園です。太陽の方角や、知っている都市の方向からすると海は左手にあるはずなのに、メコンの流れは左手から右手に流れています。なぜ、このあたりでは逆流しているのだろう?支流が複雑に流れ込んでいて、中州のこちら側では流れが逆になるのだろうか?そう思いながら、ずーっと眺めていたのです。
 満潮(tide)のせいだよ。そう言ったのは、ぼくにずーとつきまとって小舟で川を回らないかと勧めていた青年でした。このあたりでは、時間によって川の流れる方向が変わるんだ。彼の言葉によってようやく疑問が解けました。しかし、河口から100kmも離れているところでも逆流するとは!メコン川の雄大さにちょっと圧倒された一幕でした。

 ティエンザンのほとりでは子供たちや時にはおじいさんも川に飛び込んで泳いだり、じゃれあったりして遊んでいます。うーん、しかしあの泥色のメコンで泳ぐのは...。
 公園のあたりでうろうろしているとボートに乗らないかという子供が近寄ってきます。本当は禁止されていていけないらしいのですが、個人でメコン川巡りをしてくれるようで、ティエンザンツーリストのツアーでは行かないような支流の方にも行ってくれるようです。もっとも見つかると50ドルくらいの罰金だそうです。僕らが払うのではないのですけどね。

日本語塾
 サックさんにつられてマーケットに行ったときのこと、その後でサックさんの知り合いの日本語を勉強している女性と話をしました。サックさんは個人で日本語の塾をやっているのでした。日本語を学ぶのはかなり難しいため、行く度にメンバーが替わっていましたけど、いつ行ってもたくさんの人がいました。日本にいる家族に呼び寄せられて、日本に住む予定のある人、ボートピープルとして日本にたどり着いたものの強制送還された人、単に興味のある人、いろいろな人がいました。

 ミトーに泊まりで行った場合、街には何もないので知り合いがいないと夜は非常に寂しいと思います。昼の間に知り合いを作って、夜も寂しくないように用意しておいた方がいかも知れません。僕の場合は、前述のサックさんやその知り合いが相手してくれるので寂しい思いをしたことはありませんが。
 このサックさんは以前はシクロの運転手だけをしていたのですが、今回(97/4)行ってみると、娘のアイさんと一緒にティエンザン・ユース・ツーリスト(
02 Rach Gam ST. My Tho)の日本語ガイドもしていました。これまで本当に趣味だけでやっていた日本語がこんな形で役に立つなんて、うれしい反面、いろいろな日本人に出会うことになって、厭な思いもするだろうなとちょっと心配です。まあ、彼らはガッツがあるので問題ないでしょうけど。彼らに会ってみたければ、上述の住所かボート乗り場(25 Nam Ky Khoi Nghia ST. My Tho)の事務所に行ってみてください。もちろん、彼らはガイドであるので無料サービスは期待できないですけど、いろいろ相談には乗ってくれると思います(日本語で!!)。
 今回(98.8)、事務所に行ってみるとティエンザン・ユース・ツーリストはなくなり、ティエンザン・ツーリストの事務所になっていました。何でも、乱立していた4つの旅行代理店が合併したのだそうです。おかげで、サックさんの元同僚は職にあぶれてしました。
 また、サックさんの娘さんのアイさんも事務所にはおらず、サイゴンで日本語の勉強をやり直しているとのことでした。

ヨトナイ
 ミトーで妙な日本語(とかれらが言う単語)を聞く機会がありました。それがヨトナイです。それは、サックさん達と屋台でサテを食べていたときのこと、僕が日本人と知って近くのおばあさんがヨトナイと言ったのです。サックさんに聞くと昔日本軍がベトナムに来ていた頃、彼らが言った言葉だと言うのです。今、日本人は忘れていますが、大戦時、日本軍はベトナムに進駐していました。南部に進駐したのは遅いためあまり問題はおきなかったようですが、それでも日本軍は怖かったようで、一定の年齢以上の人は片言の日本語を話せたりします。
 しかし、ヨトナイとは聞き慣れない言葉です。そのとき、ふとハノイでおじいさんに聞いた知っている日本語の単語の中にありがとう、おはようなどとともに上等という言葉があったのを思い出しました。昔の日本軍は上等というのが好きだったようで、あちこちで聞きます。南部のベトナム人は、『ざ』が『や』に変わる発音をしますので、これは『上等ない』が南部式に訛った言葉ではないか、確証はないのですが、今でもそう思っています。

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